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こんにちは!この記事は、英会話講師歴20年、オンライン英会話スクール「Coogee English Online」の運営者が解説しています
この記事では、英語にまったくの無縁だった私が、その後英語講師になるまでの体験をお話しします! お茶でもお飲みになりながら、気楽の読んでいただければ幸いです。
「世界」は、 私の視野に無かった
英語とは無縁だった学生時代
正直言うと、私は中学高校時代、英語とは縁のない学生でした。 どちらかと言うと、英語の成績も良くなかったし、英語の先生もそこまで好きではありませんでした。 なので、英語は自分の人生の中に1%も存在していませんでした。
また、海外留学という言葉は、どこか遠い世界の話で、お金持ちの家の子が挑戦する、何かすごく特別な出来事のように感じていました。 国際電話は高く、インターネットもまだ一般的ではなかった時代です。 世界はテレビの向こう側にあるものであって、自分の人生とつながっているという感覚はまったくありませんでした。
もしあの頃、心から「英語って面白い」と思わせてくれる出会いがあったのなら、もう少し違った向き合い方をしていたかもしれません。 でも当時の私は、英語はテストのための科目であって、自分の未来を広げてくれるものだとは全く考えていませんでした。
「世界」という選択肢がなかった私
振り返ってみると、当時の私は、日本という国の中で人生が完結すると思っていました。 海外に出る発想もなければ、英語を使う未来も想像していませんでした。 今思えばずいぶん視野が狭かったようにも感じますが、それが当時の私の現実でした。 周囲の環境も、社会の空気も、そういう時代だったのだと思います。
高校生の頃、将来の夢はカメラマンになることでした。 写真の専門学校に進学し、東京に出て、自分の作品を作りながら生きていく、英語は私の夢の中には登場しませんでした。 世界という言葉も、具体的な輪郭を持っていませんでしたし、自分の見える範囲の中だけで将来を描いていたのです。
だからこそ、この後、自分の人生が英語によって大きく動くことになるとは、当時の私はこれっぽっちも想像もしていませんでした。 英語にまったく興味もなく、世界に憧れもなかったあの頃の私が、やがて英語の先生として生きていくことになる…
今振り返ると、あの無関心な時間も無駄ではなかったのだと思います。 英語に特別な才能があったわけでもなく、最初から夢中だったわけでもない。 その普通さこそが、のちに大きな意味を持つことになるのです。
人生って、わからないもんですね。笑
写真の世界からオーストラリアへ ― I am と I like から始まった留学生活
写真の世界で感じた違和感
高校卒業後、私は写真の専門学校へ進学し、東京でカメラマンを目指しました。 音楽が好きだったこともあり、CDジャケットの撮影や音楽雑誌の仕事、バンドのツアーに同行する機会にも恵まれました。 好きなアーティストの現場に立ち会い、熱気の中でシャッターを切る日々は刺激的で、若い私にとっては夢のような時間でした。
けれどその一方で、時代はフィルムからデジタルへと移り変わっていきました。 機材の性能が上がり、設定を整えれば誰でも一定以上の写真が撮れるようになっていきました。 生活のために、いわゆる商業写真も数多く撮影しましたが、次第に「これは、私じゃなくても撮れるのではないか?」という思いが心の中に芽生えました。好きなものを撮るだけでは食べていけない現実と、仕事として撮る写真との間で、どこか違和感を抱くようになっていったのです。
現状を変えたくて飛び出したオーストラリア
そんな時、ふと「世界を見てみたい」と思いました。 写真の世界を広げるため、という理由を自分に言い聞かせながら、私は仕事を辞め、当時同棲していた人とも別れ、単身オーストラリアへ向かいました。
それはそれは大胆な決断でしたが、その時はとにかく、何かを変えたかったのだと思います。
しかし、英語力はほぼゼロに近い状態!
I am と I like の違いも分からないまま、ブリスベンの語学学校のクラス分けテストを受け、一番下のクラスからのスタートになりました。 日本でそれなりに仕事をしていた自分が、全く言葉が通じない環境の中で1から歩み出す。 その状況は少し悔しくもありましたが、不思議とワクワクが伴う清々しさもありました。
ホームステイ先のお母さんと、毎晩その日の出来事を話す時間がありました。 カタコトで、文法もめちゃくちゃで、それでも伝えたい気持ちだけは全力でした。 相手が少し困った顔をしても、諦めずに言葉を探す。 そのやり取りが新鮮で、楽しくて、私は少しずつ英語のある日常に慣れていき、のめり込んでいきました。
語学学校では、さまざまな国から来た友人たちと出会いました。 国籍も文化も価値観も違う人たちと、拙い英語で笑い合い、自分のことを語り、日本のことを説明する。 その時間の中で、英語はテストのための科目ではなく、人と人をつなぐ手段なのだと、深く体感していきました。 世界は思っていたよりも広く、そして温かい。
そう感じ始めたのは、この頃からでした。
「戻りたい」から「どハマり」へ ― 英語が人生の軸になった瞬間

「戻りたい」という衝動から始まった本気
ブリスベンでの留学生活は、想像をはるかに超えるものでした。 英語が完璧に話せるようになったわけではありません。 それでも、毎日の会話の中で、確実に世界との距離が縮まっていく感覚がありました。 だからこそ、日本へ帰国したとき、胸の奥に強く残ったのは「あそこに戻りたい」という思いでした。
そこで私は、再びオーストラリアへ行く決意をしました。 昼も夜も働き、必死にお金を貯めました。 「このまま英語を忘れてしまうのは嫌だ!」と本気で思ったのです。
英語に“どハマり”した理由
再び渡ったオーストラリアでは、以前よりも明確な目的がありました。 日本において小学校の教壇に立って英語を教える資格を取得するために学び、気づけば人生で一番勉強していました。
英語が分かるようになるたびに、世界との接点が増えていく…会話が広がり、価値観が揺さぶられ、自分の視野が広がっていく…その積み重ねがとにかく心の底から「楽しい!」と感じて、私は完全に英語に“どハマり”していました。
英語は敵じゃない ― 20年教え続けている本当の理由
英語は特別な人だけのものではありません。 完璧でなくても、間違えても、伝えようとする気持ちがあれば会話は生まれます。 世界は想像以上に広く、知らないことにあふれています。 そしてその中で、自分の存在が確かに認められる瞬間があるのだと知りました。
だから私は、そんな経験を活かして生徒たちに伝え続けています。 英語は敵ではないんだよ、英語は人生を今より少し豊かにしてくれる可能性を持っているんだよ、と。
英語を通して出会える「世界」、そしてそこで見つかる自分自身の可能性を、これからも静かに、そして情熱を持って伝えていきたい。 それが、I am と I like の違いも分からなかった私がたどり着いた答えです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


